まだ何も始まってないぞ

ダンスも歌もレベル高くなくても乃木坂に求心力があったのはビジュアルの統一感と「乃木坂らしさ」と上昇していく期待感があったからだと思うわけですよ。
今はそのどれもが失われつつあってこのままいくとどこかの段階でパフォーマンスのあらを見逃してもらえなくなって一気に終わっていく気がする。

 

「上手なダンスや歌や演技を見たければそれぞれのプロを見に行けばいいわけで、あえてアイドルを見る理由とは?」
という問いはやっぱり本質的で、よくある答えとして「可愛い女の子が歌って踊るのが見たい」とか「成長していく過程を楽しみたいから」「夢に向かって頑張る姿を応援するのが楽しい」とか乃木坂だと「グループとしての魅力があるから」とか言うけど、裏を返せばこれらがパフォーマンス力を免除される条件でもあるんだよな。
「ルックスレベルが高いか」「成長が担保されているか」「グループとして魅力を演出できているか」とかこれらの条件を満たせなくなってくると見てる人が本質的な問いに直面してファンは離れていく。

 

ダンスや歌が下手だとか世間は浅はかで表面的なことで評価を下す。そんなときファンが彼女らを擁護するわけだが、ファンの中にも伸びしろへの期待値込みで擁護している人が一定数いる。常に成長する姿勢と期待感を求める。そういう人たちが伸びしろが無いと悟ったらモチベーション激下がりすると思う。

確かに人間は成長するけれど物語になるような劇的な成長を遂げるのは稀で、つまり「成長物語」は多くの場合幻想なんだ。

「成長物語」にドラマチックさを求めてはいけないということが最近ようやく分かって来た。成長をドラマチックに捉えるためには彼女らの地道な努力とその成果の積み重ねを丹念に追いかけていくというすごく気の長い作業が必要。浅いファンはまず成長物語として見ることはできない。アイドルとして活動できる期間が限られているという問題もあり、気づいたら何も劇的な出来事がないまま卒業の時を迎える。「アイドルは成長していく姿を楽しむもの」というのは浅はかな幻想。だが、少なくとも他の形態のタレントよりは活動の歩みをつぶさに追っていける仕組みにはなっているから楽しめる人は楽しめる、という感じ。

あともう一つ本質的な問いとして「握手会で身につくスキルってつぶしが利かないよね?」というのがあります。コミュ力は鍛えられるんだろうなーとは思いますが、そこで彼女らが身に着けたレベルをとっくに超えている10代の若手女優などを見ると割とやるせない気持ちになる。それは流石に比べるのがおかしいんですけど、芸能界に入るのは特別な人間じゃなくてはいけないという常識に逆らった結果がこれか、という気持ちです。かつては「その常識に逆らって新しいエコロジーを芸能界の中に作ってもいいんじゃない?」という気持ちだったけど、今はそうでもない。握手会の時間を歌唱力やダンス力や演技力の底上げに使うという選択肢はないんだろうか。そんな目が出るか分からないレッスンに時間を割くくらいならファンに直接お金を落としてもらう方が得策という感じなんだろうか。それはそれで正しいんだろうな。つまり構造上ジリ貧になる道を選ばざるを得ないということ。「成長に期待できない」と運営自ら白状しているような状況。これはかなりむなしい。